
エンジニア 案件にライバル出現
技術寄りだけど科学と技術の中間的なところと言えそうですね。
特許というのは明らかに技術側です。
先ほど言いましたように、新しい技術の開発というのは、物もお金も時間も必要です。
知恵も必要です。
これら全てが投入されてうまく転がったときに新しい技術が生まれる「一致させようよ」という努力をしないでもバツと一致してしまった時期ですね。
しかも、それが市場ニーズにも合っていた、食い違わなかった。
そういう状況で我々技術者にとっては非常に幸せな時代です。
それからサニー・カローラが出た頃、これは昭和四十一年ですかね。
四十一年というと一九六六年。
大衆車戦争といわれた時期です。
ちょうど国内の販売も頭打ちになって、自動車が成熟商品になりかけた時期。
欧米の水準を、小型車というのは特にヨーロッパで得意ですから、このサニーの場合「ヨーロッパの水準を超える軽快で良く走る車を作るぞ。
大衆車を作るぞ」と若手が燃えた。
どうもこれがね、情報が少ないですからかなり推測が入っていますが(笑)、トヨタのほうはそのような技術的目標に加えて、「こういう時代になってきたから豊かさを演出して商売に勝つ」という目標があったようです。
ここですね。
こっちはいい車を作る。
モノ寄りですね。
こちらのほうは商売に勝つ。
どうやって商売に勝つかということを考えて、商品づくりをした。
日産としてもこれは大成功でした。
社名募集を初めて日本でやりまして、八百何十万通のこれからの話は、一般論で皆さんにお話しするには少々問題になりそうなところも含んでいますが(笑)、私自身が日産グループの中にいますので、日産関係の情報は割合経験値です。
それから他の情報というのは、いろいろ外部から見聞したところから推定していますので、一般的に断定してしまうとちょっと危ないとこもあります。
私の個人的見解として、この辺はまとめとして聞いていただきたい。
先ずは前回の講義で扱った時期から。
最初の成長期、一九六○年代初期の成功した時期です。
日産でいえば初期のブルーバードとかセドリックとかが生まれた時期です。
トヨタでもいい車が生まれてきていますが、日産でも「今度こそは欧米に負けない車を作る」となんべんか思ってやりながら果たせなかったのが、「今度こそは」というのが非常に集中した時期で、全社を挙げて設計・製造を始め、全社の目標として一致して、いう指示でした。
「千五百台も作ればいいじゃないの」という設備で作った。
トヨタの方は大衆車時代を勝ち抜く車との目標ですから、たぶん最初から二万台ぐらいの設備で作っていますよ。
結果は、その千五百台なんかではとても足りなくて、次から次へと設備増強しましたから、設備投資の効率は悪いですね。
そういうのが結局高くつきますから、コストが嵩むということにもなります。
そういう点で非常に残念な思いもあるんですが、まあやってる連中は楽しかったですね。
お互いに気心が合っていましたから。
比較すれば確かにカローラのほうが上回る成功ですが、サニー自体もたくさん売れまして、大成功ではあったし、外国に持っていっても非常にいい車だということで評価が高くて、ある意味での成功ではありました。
ただ市場は、自動車というものがだんだん変わりつつあって、良く走ればいい、走って曲がって止まるのがしっかりしていれば良いというだけでは済まない時期にさしかかっていました。
いろんなことが必要になり始めて、商品として、あるいはビジネスのあり方として、うまく商売に勝つように仕組んでいかな応募がありました。
ただ、もうちょっとあまり外に言えない話をすると、日産の中ではサニー開発の時に、トップからは、鼻先で笑われていたんです。
結果はそれが幸いしたこともあります。
偉い人が干渉しない。
「いや大衆車っていうのは……」その頃でトップが、「自家用車にはブルーバードの中古車が一番合っている」と中古車Ⅱ自家用車論を唱えたような時代でした。
「そんな車作ったって売れないよ」「まあそんなにやりたいならやったら」との感じがありました。
担当したのは、設計・実験・販売・製造技術、全部僕らと同じ年頃の若手でした。
その頃ですから三十歳前半ぐらいです。
三十歳前半ぐらいの若い人ばっかりで、年寄りがあまり口出さない。
そうすると担当する連中の間では、非常に思いが一致していました。
ただ思いは「欧米の水準を越える軽快で良く走る大衆車を作る」だったんですね。
本当にこういう車ができました。
トヨタの様な「豊かさを演出…」ではなかったんですね。
また、日産では、上の人の関心が薄かったから「そんなこと言ったって、設備にあんまり金かけるな」と「自分の力で生き残らないと大変だなあ」という思いも出てきたし、親会社もそれを認めていいような雰囲気になってきた機会に、自分たちで商品を作って、開発して生産して売ると。
そういうふうに自分の足で立てる会社に、つまり普通の会社になりたいということが共通の課題になって、社内は「うん、そうだ」ということで活気を取り戻しました。
そしてその後、一生懸命みんなが動き回る元気の元となりました。
これも言うと危ないかな(笑)、日産がリストラやり始めて、日産自体も本当に自分の競争力に必要なところ以外はスリム化し始めました。
そういう過程で親会社の言うことをはいはいと素直に聞いていた会社は、そういう困った事態になったときにですね、だいたい頼りにならない会社になっていました。
こういう動きを始めたもんですから、ジャトコという会社は親会社から晩まれていまして、親会社に対して態度の悪い会社だと評価されていました。
「お前どこ見て仕事しているのだ」と怒られたりしていましたが、自分の足で立ちたいと努力していた成果は出ました。
最近になって、日産社内の変速機工場を分離していけない時代に変わりつつありました。
それからもうひとつの面。
ジャトコの歴史を簡単に紹介しましたけど、ここで私が言いたいことはですね、最初は日産・マツダが自分の車用の変速機が欲しくて工場を造りました。
従って管理職は全員古巣へ帰る出向者でしたから(笑)。
そういう管理状態ですから、方針めいたことはここの会社では何も決められない、決まらない。
そういう会社で、親会社の分工場みたいな存在だったわけですね。
だから会社の中でこの会社をどうしていこう、将来どうなろうという共通の目標の作りようがありませんでした。
最初は、日本とアメリカで自動変速機に関していえばその当時、非常に大きな量産水準・量産技術の差がありましたから、目を輝かしてやるんですけれども、それはある程度の時間がたっと終わりますね。
そこから先にどうするかというのがなくて、進歩が停止してしまう。
相対的には競争力の低下、それから社内が沈滞するというような現象が起きておりました。
それで先ほどの、フォードが撤退して、それから親会社もそんなに調子良くなくなって、我々としても目標達成する力は大きいそういうことで今日の話をまとめますと、これが目標だということをはっきり自覚すると、それを達成しようとする能力・力というのは、自分が思っている以上に、人間は強いですよ。
これは皆さん、自信持ってください。
非常に困難と思われる目標でもですね、「これはやっぱりこの目標は達成しなきゃいけないのだ」と思う、あるいは「難しいけどなんとか達成できるよ」と思う。
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